ツイッターより

澤昭裕はツイッターとフェイスブック両方を使っていました。ツイッターは公開し、フェイブックは友達のみの閲覧と制限をかけていて、ツイッターの内容をフェイスブックでリンクさせ、コメントのやり取りはフェイスブックでしていました。

ツイッターは2009年12月に登録、2010年に書き始めて、9500ぐらいつぶやいていました。
https://twitter.com/sawaakihiro▲

内容はほとんどがエネルギー関係のもの。新聞記事や雑誌の記事についてのコメントが多いようです。

いつもそうだが、日本の会社はムードとライバル社の動向(ウチはやらなくていいのか!?と焦る上司の判断)だけで投資決定して、後で痛い目に遭うことが多い。;伊藤忠、シェールガス撤退 米開発会社株を1ドルで売却:日本経済新聞 http://t.co/DzbXdEiIhl

— 澤昭裕 (@sawaakihiro) 2015年6月24日

時々、愛犬ジャスパーやサッカーなどの写真や動画を載せたりもしていました。一般の人に向けての言葉は少ないようでしたが、以下のようなものがありました。

パワポ好きに、スライドの「矢印」や要素間を繋げる線の意味を説明させると大抵言葉に詰まるのを見て、パワポは物事を論理的に考えることの障害になる思い、自分も部下にも必ず文章を先に書き、必要に応じてパワポを作るように徹底した。 https://t.co/JrqykoeVM1

— 澤昭裕 (@sawaakihiro) 2015年10月17日

パワポの続き。だから、いわゆるコンサルタントと自称する人たちが作るパワポは全くあてにしたことはなく、仕事上必要なときは必ず文章で提出してもらうことにしたが、そうすると自分の頭で考えたとは見えないどこかのコピペ出てくることが多く、そのうちコンサルタントとは仕事をしなくなった・・

— 澤昭裕 (@sawaakihiro) 2015年10月17日

立派な研究者が挑戦的な学問的課題に取り組むための予算を配分するのは誰も文句はない。大学の問題は、そうした一握りの研究者を表に立てて「甘い」研究姿勢でお金を浪費しているような研究者たちに限って、社会は学問の自由を守るために資金を惜しむべきではなく平等に配分しろと強弁することにある。

— 澤昭裕 (@sawaakihiro) 2015年10月24日

国連、大学、商店街、ボランティア団体・・・の共通点は構成員1人ひとりが同じ重みでヨコに並んで、タテの関係にないこと。企業や役所はその逆。組織構造の違いがマネジメントの相違を生むことに気づかないと大失敗する。産学連携、行政とNPOの協働などがそううまくいくわけがない理由はこれ。

— 澤昭裕 (@sawaakihiro) 2015年12月26日

どの組織でも「企画」をやりたがる人は多い。が、「企画」をやるということはみずから立案したプランを「実施」する責任を伴うものだと認識している者は少ない。自分はいい企画を出したから、あとは誰かがそれを実施するはず、実施されない場合は自分に責任があるとはツユほども思わない厄介者が多い。

— 澤昭裕 (@sawaakihiro) 2015年12月26日

ツイッターは公開されていますので、昔のものもさかのぼってご覧いただけます。